2015年1月26日月曜日

錫杖・洞谷

初日は錫杖へ
この天気なのに我々と知り合いの4人だけ





翌日は洞谷へ
目的の氷柱は日当たり良好で状態が良くなかったです。



大同心大滝・角木場の氷柱

朝一で大同心大滝を登りに行きましたが、風雪が酷くなり即下山。
帰り道に山の神の氷柱を見に行くも、却下。
雨も降りだしたので、このまま下山かなぁと思ってましたが、止んだので角木場の氷柱を登ってきました。




2015年1月23日金曜日

善五郎の滝

初仕事で善五郎の滝へ行ってきました。
年明けの雨の影響か、中央部分は崩壊していました。
小滝にトップロープでアイス初体験!
トライを重ねるにつれ上手く登れるようになってきましたね。




尾白川

第3弾
この日は一人で尾白川散策





大武川・大滝~中滝

第2弾は大武川へ
2拍3日のゆったりプランで中滝も登ってきました。
北海道では考えられないアプローチをこなしていただきましたが、納得のアルパインアイスでした。







昇天の氷柱

北海道からのゲストをお迎えして、雨後の氷柱へ



2015年1月2日金曜日

黒部横断

昨年末に黒部横断を行いました。
12月19日~29日
扇沢~岩小屋沢岳~十字峡~黒部別山北尾根~八ツ峰・Ⅲ稜~早月尾根














黒部横断
2014年12月19日~29日
M 澤田実、成田賢二、中島健郎、上田幸雄 
                              
16日入山を予定していたが、日本海を通過する低気圧の影響で雨予報の為、1日延期するも澤田が発熱したため、さらに2日延期して19日の入山となった。先の低気圧と南岸低気圧は異常な発達をし、史上まれにみる爆弾低気圧となっていたため、結果的に延期したことが余計な停滞日の消化することなく、行動と天気周りがうまく噛み合い、今回の成功の一因となった。
ただ、今山行中一日も停滞日がなく、最終日まで肩に食い込むバックパックを背負うはめになった。

1219日 快晴
日向山ゲート(12:00)~扇沢(14:00)~新越尾根1550m(15:30)
12月とは思えない積雪量の大町駅で合流し、荷分けを行い日向山ゲートに向かう。爆弾低気圧後の移動性高気圧に覆われ快晴。入山日にはもったいない天気だがこれも運命。ありがたく受け入れる。35kgを超えるバックパックに喘ぎながら新越尾根末端に到着。空身で18000m付近までトレースをつけて、ささやかな入山祝い。初日の夜が更けていく。

1220日 晴れ~雪
出発(5:40)~岩小屋沢岳(11:40)~北西尾根2120m(14:00)
 本日は低気圧との競争になる。星空の中、出発するものの、次第に雲行きが怪しくなってくる。11月の積雪の少なさを心配していたが、12月に入って周期的にまとまった降雪があったため、底抜けもない正構造の安定した積雪状態のようである。ただ、扇沢周辺の斜面には破断面も見受けられ、時限爆弾が仕掛けられている可能性は否定できない。
 新越尾根は膝上程度のラッセルで4名という人数も手伝って、効率的に高度を稼ぐことが出来たため、荒れ始める前に後立山を越えることが出来た。しかし、剱岳の雄姿を拝むことは叶わず足早に十字峡へ延びる尾根へと下降を開始した。

1221日 曇り~雪
出発(6:10)~北西尾根1350m(10:30)
 昨夜からの降雪は30cmほど。平坦な下降尾根は空身でのラッセルを強いてくる。時折青空が広がり鹿島槍の雄姿がラッセルの労力を和らげてくれる。対岸は2000m以下の視界が確保できている程度、ルートは皆で確認しながら進んでいく。
 今夜から大量の降雪が予想されるため、本日中の横断も視野に入れていたが、フラッシングでの黒部川横断のリスクを秤にかけて、本日は幹回り10mはあろうと思われる黒檜の御加護を受けることにして、成田・中島が1150m付近まで偵察に行く。

1222日 雪
出発(6:50)~黒部川(9:50)~十字峡(11:30)~北尾根1050m(12:40)
 昨夜からの降雪は30cmほど。昨日のトレースも完全に埋まってしまい、下降路を間違いながらも、ここしかないだろうと思われるポイントに到着した。途中には電源開発時と思われる番線も残っており、人類の豊かさに対するエネルギーを感じざるを得ない。
 入山してまだ4日目のバックパックは優に30kgを超えており、黒部川の谷底へ下降を始めたらもう後戻りはできない。一発目から足ブラの懸垂下降となり、退路を断たれる。降雪は激しくなっていくが、対岸の視界が確保されているため下降ラインを見極めることが難しくないのが幸いである。
 最後は60mロープを2本繋いで、成田が谷底へ吸い込まれていく。ロープは届いているだろうか? 下降ポイントは安定しているのか? 対岸へのスノーブリッジは崩壊しないか? 不安を覚えながらロープが流れるのを確認し、下降器をセットする。
 幸い、安定した河原に降り立ち周辺の状況を確認する。対岸へのルートはラビーネンツークとなっているルンゼを登るしかないようで、チリ雪崩を受けながらラインを設定し、荷物を運ぶ。澤田は黒部横断を水平のビックウォールと表現した。
 
1223日 雪~晴れ
出発(6:30)~北尾根1610m(14:10)
 本日も昨日のトレースは完全に消えていた。急傾斜の藪尾根に激ラッセル、黒部別山入門ルートの北尾根だが侮れない。チビ高気圧の影響で、いつの間にか視界が広がり青空から束の間の陽光を浴びる。時間当たり75mの登高速度では本日予定していた壁尾根JPには届きそうもなく、体力の消耗を避けて早々にテントを設営した。

1224日 曇り~雪
出発(6:40)~壁尾根JP(11:00)~別山谷コル手前(12:00)
 ラッセルは相変わらずだが、藪も少なくなり純粋な雪との格闘が始まり、ショベルの出番がやってきた。壁尾根JPに到着するころには、雪がちらつき始める。別山谷のコルまで足を延ばすが、先の幕営地までは時間がかかることが予想され、安定した場所を今宵の宿とする。夕方から風向きが変わり、降雪も激しくなっていく。

1225日 雪
出発(7:00)~黒部別山北峰(11:50)~黒部別山西面1750m(14:30)
 昨夜からの降雪は50cmほど。なんとかギリギリ、除雪に出ないで済む量で収まった。インナーポールを持参したおかげで、テント内は快適な状態を保っている。
 別山谷コル上の斜面の積雪状態に不安があるが、このまま停滞していても状態は悪くなるばかりである。コルからのルンゼ内でチリ雪崩を受けるものの、ダケカンバを繋ぎながら雪崩れそうな斜面を登り切り平坦地に出る。黒部別山北峰周辺も何とか視界が確保できたものの、複雑な下降尾根にあっちでもない、こっちでもないと言いながら予定したポイントに幕営。ラジオは27日、28日の好天を報じている。勿論、その後は低気圧通過後の年末年始寒波がお決まりだ。ここまで、1日の停滞もなく行動しているので、順調ではあるが背中の荷物は一向に軽くならないような気がする。一方、八ツ峰に取り付かない理由が見当たらない。ただ、連日の降雪でⅢ稜のスベリ台ルンゼの積雪状態が不安で、Ⅳ稜を提案するものの、皆に却下され兎に角予定通りⅢ稜に取り付くことにする。

1226日 雪
出発(6:20)~八ツ峰Ⅲ稜・P4(16:30)
 幸い新雪は10cmほどであるが、視界は対岸のⅣ稜末端が確認できる程度。2008年の悪夢が頭をよぎる。Ⅲ稜の末端台地に幕営していたが、夕方からの大量降雪により、4ノ沢からの雪崩に怯えながらテントを撤収し、足元から雪崩れるまくるⅢ稜をスベリ台ルンゼまで辿り着いたものの、予想通りの不安定な積雪に阻まれ敗退を喫した。
 しかし、今回は良い意味で予想は裏切られた。ラッセルはあるものの、ほぼ安定した積雪の中、ルンゼを通過。P3のナイフリッジは想像以上に悪かったものの順調にピッチを重ね、P4プラトーに到着。明日に備えて1pフィックスして行動を終えた。

1227日 雪~晴れ
出発(6:30)~八ツ峰・Ⅰ峰(13:40)~Ⅲ・Ⅳ峰のコル手前(17:30)
 天候の回復は遅れ、トレースはほぼ埋まってしまっている。Ⅲ稜の核心と言われるP5を通過したが、Ⅰ峰は遥かかなたにそびえている。腰からオーバーヘッドのラッセルが続き終わりが見えない。積雪は表向きは安定した顔をしているが、油断はできない。雪は止み、青空が広がるものの遅々として進まず、天候の回復が遅れることさえ望んでしまう。
 明日の為の余力も残しておく必要もあり、Ⅰ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰を越えたところで行動を中止する。

1228日 晴れ
出発(6:30)~池ノ谷乗越(14:00)~本峰(16:30)~早月小屋(19:30)
 勝負の朝がやってきた。眼の前に見える本峰は一向に近づかないものの、確実にピッチを重ねⅦ峰を越えるところで、判断を迫られる。「眼の前のⅧ峰、八ツ峰の頭を越えずに八ツ峰を完登したといえるのか?」 「空に次々と現れる雲は明日以降の悪天を想像するに十分なものだ。動けない天候になればハマるのは必至だろ?」 僕たちは逃げ切ることを選択した。Ⅶ・Ⅷのコルから長次郎谷へ下降し、池ノ谷乗越へ登り返す。池ノ谷乗越の頭で久しぶりのアイゼンの感触を楽しみながらも、時折現れる罠にはまりながら本峰へ向かう。太陽は西に傾き間もなく日暮れを迎える。早月小屋まで逃げ切るには十分な時間がある。2800mから現れた日大のトレースに助けられ首尾よく早月小屋に到着し、安堵した。  

1229日 雪~雨
出発(7:40)~馬場島~伊折(14:00)
 昨夜は風雪が強く、昨日の行動を正当化しようとすることを後押ししてくれた。勿論、早月小屋からの下降も先行パーティを追い越してからは、腰ラッセルとなった。標高を下げ、雨が混じりだしたころ馬場島に到着。警備隊に下山報告をして、伊折へと足を向けた。

2015年の元旦に自宅の窓越しに降りしきる雪を眺めながら、この原稿を書こうとは想像していなかった。あの時の判断と行動がなければ、今は北方稜線のどこかで雪洞を掘ってトランプ大会に興じていたのであろう。そうしたかった自分もいるが、悩ましい選択である。ハマりたい訳ではないが、なにか物足りなさを感じている。あのラッセルの苦しさを忘れてしまったのか・・・・

「成功した登山の記録にロクなものはない」
まさにその通りだと・・・
いまどき、トレースし尽された八ツ峰を登る価値があるのか?
そこに至る過程と行動・判断にその価値を見出すことが登山の質を決定するのであろう。その過程において、僕たちの登山に価値があったと信じている。