壁は至る所で川と化していることは、容易に想像できたにも拘わらず敢えて歩き始めた。
取り付きで下した決断は敗退。敗退するために、ここまでのアプローチをこなして来た訳でないことは明らかだったが「普通は登らない」という当たり前の答えを導き出しただけだった。登らなくて良い理由を探していた訳ではない。敢えて登るためにここまで来たはずなのに・・・
単なる週末のクライミングを楽しむはずだった。敗退しても別ルートから頂上を踏み満足して帰ればそれでいいとも思っていたが、やはり腑に落ちない。
友人が大学生に言った言葉が響いてきた。
部活動で野球・サッカーやラグビーなどをやっているやつらは毎日顔を合わせ練習して週末の試合に臨んでいる。なのに、山岳部の学生はろくにトレーニングもしないし毎日顔を突き合わせて話をするわけでもない。(いろいろ省略)
体力が無いとかリーダーシップ・メンバーシップを語る以前の問題であると。
まさに自分自身の問題である。
何となく走り、何となくクライミングジムで汗を流してトレーニングした気になっていた訳ではないが、目標が見えていないトレーニングはトレーニングとは言わない。明確な目的が今の自分に欠けているのは明らかだ。
やるべきことが見つからない悲劇な自身を確信した一日だった。